2008年06月01日

城崎温泉(城之崎温泉)の歴史

舒明天皇(在位629年~641年)の時代に、コウノトリが傷を癒した伝説があります。
養老元年717年から養老四年720年、道智上人千日の修行を行った末に湧出したことが城崎温泉のはじまりと言われています。
この(現在のまんだら湯)道智上人は温泉寺開山でもあり、温泉寺は以後、城崎温泉の社会的中心となります。

江戸時代の温泉番付によると西の関脇(最高位は大関)にランクされていたほどです。
ちなみにライバルの有馬温泉西の大関です。

江戸時代の外湯の元になった湯壷は9つり、幕末には、桂小五郎が新撰組に追われて城崎温泉に逃げてきたことも有名です。

江戸時代の城崎温泉はすでに遊技場のほか、食べ物屋は、鍋焼き、ぜんざい、うどん、そばなどをはじめ、果物、魚、鳥も各地から運ばれフグ、タコ、カモと幅広く手に入れることができるほどでした。
また、貸し物屋では三味線、すごろく、碁、琵琶、琴、さらに、槍や刀まで貸してくれてました。

日露戦争の折は、戦争で負傷した兵士を湯治させるために寮養所を城崎温泉に設置しました。そのため明治維新からずっと続いていた深刻な不況もなくなり、明治以後も文人墨客に愛され、『城の崎にて』を書いた志賀直哉、作家・有島武郎をはじめとする多数の文豪が来訪されました。

大正時代の北但地震で町は全焼するが翌月には82人の客が城崎を訪れていて、湯が沸いている限り客足は絶えることはありませんでした。

第二次世界大戦中、温泉街は、軍人病院となっていたこともあります。
昭和38年に温泉街と大師山山頂を結ぶ城崎ロープウェイが開通し、高度成長にあわせて温泉ブームが到来し、城崎温泉は巨大な観光地となります。

城崎温泉(城之崎温泉)の歴史 最終更新日 2008.05.31